庄内町議会 2009-06-08 06月08日-04号
ということは、ニーズがあるんだなということも含めて、もちろんあそこから出てきて船着場の辺りまで戻りますと観光バスがということにはなるわけですけれども、例えば農業・林業・観光の部分でどうなのか、あるいは若者定住でどうなのかということも含めて、私はもっともっと多角的に考えるべきだというふうにも思っていますし、庁舎の付近の駐車場のラインもなんかほとんどみんな、体育館のところもそうでしたけれども、消えていてよく
ということは、ニーズがあるんだなということも含めて、もちろんあそこから出てきて船着場の辺りまで戻りますと観光バスがということにはなるわけですけれども、例えば農業・林業・観光の部分でどうなのか、あるいは若者定住でどうなのかということも含めて、私はもっともっと多角的に考えるべきだというふうにも思っていますし、庁舎の付近の駐車場のラインもなんかほとんどみんな、体育館のところもそうでしたけれども、消えていてよく
したがって、最上川を擁するこの地域では、渡船場、船着場が数多く設けられていたというふうに推測されます。 最上川には宮野浦渡船場、中瀬渡船場、新堀渡船場、赤川には三川町横山渡船場と黒森に船着場が置かれていることがわかります。宮野浦渡船場、昭和47年6月に出羽大橋の開通によって廃止されました。しかし、歴史が古く市史によると、800年以上の歴史があったように記録があります。
「延文元年(1356年)期波兼頼は山形入部の際,山形城の西北2里の須川岸に船町を開き,大石田以下の連絡の便を図った」と古文書に見え,船町に船着場が開かれ,今年で丁度640年をむかえるわけでございます。